最近というほど最近ではありませんが、ネットの炎上を見ていると怖いなあ。と思います。
もちろん、ネットだけでは無く、テレビでも流されてはいますが。
何かの不祥事があった有名人が、一斉にたくさんの人に叩かれている。これを一般的に炎上と呼ぶようです。
個人的には、集団いじめのように感じて、恐ろしさを感じてしまいます。
こういった感情について、中野信子さんの本では、シャーデンフロイデとして紹介されています。
シャーデンフロイデとは元はドイツ語で
・シャーデン:損害や不幸
・フロイデ:喜び
という単語を組み合わせた言葉で、日本の慣用句にすれば人の不幸は蜜の味。でしょうか。
もちろん、悪いことをした人は、それなりの罰を受けるのが現代のルールです。しかし、それはあくまで行政の仕事。
相手が抵抗できないことを良いことに、文句を言って喜ぶ。これは、叩く人も叩かれる人も損しかしない、残念な行為です。
私は、ネットの炎上騒ぎを見るとスタンフォード監獄実験が思い出されます。
今回は、そんなネットの炎上騒ぎと人の性質について、監獄実験をテーマに考察します。
- 他人の不幸を喜びと感じるのは、誰も得をしない
- 誰もが、私刑を行える時代は、残酷すぎる
- なぜ、ネットの炎上で監獄実験が思い出されるのか
- 議論は良い。声を上げるのは良い
- 正義は行き過ぎると暴力になる
- 私が人を叩きたくなった時に意識していること
- ネットの炎上騒ぎを見るとスタンフォード監獄実験が思い出される「まとめ」
他人の不幸を喜びと感じるのは、誰も得をしない
シャーデンフロイデという言葉があるくらい、多くの国で人の不幸に喜びを感じるのは、当たり前のことです。
確かに、妬みという感情は、かつて必要な感情でした。
原始時代、人は得たものを分け合うことで生き残ってきた。つまり、分け合うことができない人を妬み、文句を言うことで、生存の確率が上がりました。
人をねたむことで、みんなで協力して生き残ることに成功しています。
しかし、今では資本主義の元、少数の人が莫大な富や名声を得ることができるようになりました。
当然、個人の努力の成果なので当たり前にも思えますが、本能では妬みが生まれる。というのは、仕方ない事です。
しかし、相手の足を引っ張って、相対的に自分が上位になったとしても、意味はありません。
あくまで、絶対値で上に行く必要があるからです。
誰もが、私刑を行える時代は、残酷すぎる
インターネットは、多くの人に「発言力」を与えることができます。
一個人が、有名人にコメントを残せるようになったのは、インターネットの力です。
その力は時に、素晴らしい情報やアートを人に供給しますが、反面、誰かを傷つけることもできます。
インターネットの力により、誰もが私刑を行うことができます。これは、とても悲しいことです。
なぜ、ネットの炎上で監獄実験が思い出されるのか
私が、ネットの炎上を見て監獄実験を思い出すのには理由があります。
それは上位(叩いても良い)という状況になった時、人は本当に残酷なことができるからです。
スタンフォード監獄実験とは
監獄事件とは1971年に実施された実験で、スタンフォード大学心理学部が実施しました。
・舞台:刑務所
・デザイン:普通の人に特殊な肩書や地位を与える
・対象者:21人(看守役11人・囚人役10人)
普通の人を集めて、2つのグループに分けて行動が変わるかを見た実験です。
結果、看守役は囚人に対してひどい行動や態度を取り、囚人役はそれを受け入れた。というのが、大まかな概要です。
あまりに残酷な実験なので、追加試験などは実施されないようになっています。
つまり、人は与えられた立場に合わせた行動を取る
監獄実験で、看守役が囚人役に対して横暴な態度をとったのと同じように、人は与えられた(と思い込んでいる)行動を取る傾向があるかもしれませn。
ネットの炎上も同じように感じます。
・悪いことをした人:何を言われても仕方ない
・何もしていない人:何を言っても良い
このような勘違いが起こっているように感じます。
(注)監獄実験には捏造疑惑がある
ちなみに、監獄実験については捏造疑惑があり
・看守への指示や指導
・一人が発狂したふりをしたことを認めた
など、実験自体が完全に嘘の可能性もあるので、注意してください。(追加試験が出来ないので、どこまで間違っているかわかりません。)
人は、権威があれば残酷になれる生き物
類似の実験としては、ミルグラムの電気ショック実験があります。
ミルグラムと言えば、6次の隔たり。と提唱した人としても有名です。(知り合いづたいで6人通せば世界中の人とつながっている。)
実験の概要は
【対象者】
・電気ショックを与える人
・電気ショックを受ける人(実際は演技)
【内容】
・テストを出して間違えると電気ショックを与える
・対象者が嫌がっても、権威性のある人が、電気ショックボタンを押すように指示
・命の危険があるほどの電気ショックを与える人が60%以上いた
つまり、権威性のある人が「やってもよい」と言ったら、命の危険があるレベルの電気ショックを与えてしまう可能性がある。というのが、ミルグラムの実験結果です。
コメンテーター(権威性があるように見える人)が、人を叩いていると、自分もやっていいんだ。と勘違いする可能性があるように思えます。
議論は良い。声を上げるのは良い
当然ながら、議論をすることは大切です。また、声を上げて問題提起をすることも大切です。
金メダルを噛んでしまった出来事に対しても、選手やスポンサー企業が声明を出すのは重要なことです。
当然、サポーターが問題提起をすることも大切です。
問題なのは、意見を言ったり、議論をすることではありません。それが、個人攻撃になることです。
正義は行き過ぎると暴力になる
つまり、正義は行き過ぎると暴力になります。
個人的には、人の不幸は蜜の味。というシャーデンフロイデ的な考え方の人は少ないと信じています。
しかし、正義感が強すぎて、結果暴力になっている人は居ると思います。
個人が個人を強く批判をすることは、当事者以外はタブーでは無いか。と私は思います。(それさえも行政の仕事かもしれません。)
行政に任せることが一番の解決策ではないかと思う
こういった問題を解決するために、法律や行政があります。
法律はルールなので、人が裁かれる範囲は法律の範疇に収める必要があります。
もちろん、ルールとは、その正しさを保証するものではありません。ですが、現時点での決まり事を、個人が簡単に超えてしまうのは問題です。
行政がしかるべきルールにのっとり、行動を起こす。それでこぶしを抑えるのが、民主主義のあるべき姿ではないでしょうか。
私が人を叩きたくなった時に意識していること
私は立派な人間では無いので、もちろん人に憎しみや妬みを感じる時があります。
ですが、そんな時、思い出している言葉があるのでご紹介します。
あなたたちの中で、罪を犯したことの無い人だけがこの女に石を投げなさい
ある罪を犯した女性が、石投げの刑になりました。そこで、多くの人が女性に石を投げました。
その時、キリストが来て石を投げながら、このセリフを言っています。
誰しも、何かしら罪をおかしたり、人に嘘をついています。誰も傷つけたことの無い人は居ません。
だからこそ、そんな自分のことを思い出し、誰かを叩かないように戒めています。
ネットの炎上騒ぎを見るとスタンフォード監獄実験が思い出される「まとめ」
今回は、ネットの炎上騒ぎを見て私が思うことについて書いてみました。
ネットなどで強い批判をする人は、全体の1%にも満たない。とも言われています。
拡散力が強すぎる結果、極一部の人の言動がフューチャーされているのでしょう。
とはいえ、やっぱり個人が個人を裁くのは、良くないことだな。と私は思います。
今週のお題「爆発」