小説を読んでいて思うのは「小説の最大の魅力は自由度だ。」ということ。
小説における自由度とは何か。というと、読者の手(想像)にゆだねられている部分が多いことです。
・映画
・アニメ
・ドラマ
これらの媒体は、消費者が自由に解釈できる部分が少ない。
・登場人物の顔
・登場人物の声
・舞台
・音
・間
・色
など、様々な要素が、作り手の考えを受動的に受け取ることで成立しています。
もちろん、それはそれで良いことです。自分一人では想像できないこともありますし、単純に見ていて楽です。
また、他人が想像する世界を見れる。というのも、映像媒体の魅力の一つです。
そのため「小説が一番」という主張というよりは、小説ってこんな魅力があるよね。という内容となっています。
具体的に、小説が自由度が高い。とはなにか。
小説は自由度が高いなあ。と思うのは、同じ文章を読んでいても
・読者の住んでいる場所
・読者の人間関係
・読者の年齢
・生きている時代
など、様々な人生背景で解釈や描く世界が異なることです。
"木漏れ日の雨の中、私はひたすらに前を向いて歩いた。"
こんな文章の時に、想像する景色は人によって異なります。
・朝なのか、昼なのか
・どんな道なのか
・木漏れ日の量
・木々の色
・気温
など、文章で書かれていないことを、読者の脳内で補完する必要があるのが文章表現。
補完内容は、読者の経験やその時の気分によって異なります。それだけ、小説は、読者が自由に想像できる範囲が多い。と思います。
ある意味では、読者の想像を前提に書かれているのが小説です。
実写化が嫌がられるのは、想像との差分
どうしても賛否が大きく分かれるのが、原作の実写化。
特に、原作の人気が大きいものほど、実写化は賛否が分かれます。(見ている人が多いから。)
具体的な理由としては、シンプルに、読者の認識と実写化した内容に差があるからだと思います。
認知的不協和。という言葉があります。
これは、自分の認知(こうだと思っている)と、現実が異なると嫌な気持ちになる。ということです。
・花をくれた人からの、勧誘活動を断る時
・良い人間だと思っているのに、人を傷つける発言をした時
・高品質だと思っている会社の製品の使い心地が良くない時
こんな時に、認知的不協和が発生している。と言えます。
この認知的不協和が起こりやすいのが、実写化です。
※読者の想像≠作者の想像になりやすい。
作者も読者もそれぞれ自由に、文章を補完して理解しています。そこに乖離があった時に、認知的不協和が起こります。
結果「この作品は全然わかっていない。」といった、否定的な感情が生まれます。
読者が多ければ多いほど、様々な世界が、それぞれの人の頭で再生されています。つまり、それだけ想像している内容との差が生まれます。
自由に世界を想像できる小説は、エンタメ性に優れている。
エンタメと言えば、映画が最強な印象があります。
ですが、個人的には小説って、最強のエンタメだよなー。と思っています。
なぜなら、文章を脳内再生する小説は、技術の枠を超えた世界を作ることができるからです。
さらに、自分の脳内で再生される世界なので、読者にとっては、最も理解しやすい形で自動的に世界が広がります。
結果、あくまで技術や他人の想像の世界から出ることができない映像媒体と比較して、小説の方がエンタメ性が高いとも考えることができます。
小説の最大の魅力は自由度が高いと思う。「まとめ」
今回は、ふと小説って、自由度高いな。と思ったことを文章にて整理してみました。
もちろん、映画やアニメを見ていると
「こんな表現があるのか。」
「美しい景色に感動するな。」
「登場人物に心が揺り動かされるな。」
そんな気持ちになることがあります。
ですがあくまで「自由度」については、小説(文章表現)が最強だと思います。
そんな小説好きのつぶやきです。
ちなみに、映像化した作品よりも小説の方が数が多いのも魅力の一つです。